

朝陽みきのプロフィール
カウンセリングサービス所属 心理カウンセラーの朝陽みきです。
こんにちは。心理カウンセラーの朝陽みき(あさひ みき)です。
今こうしてカウンセラーとして活動している自分を、実は、私自身がいちばん驚いているかもしれません。
かつての私は、「ゴミみたいな私なんて、いなくなってしまえばいい」……そう願いながら、精神科のベッドでただ天井を見つめているような人間だったからです。
長い間、私は「完璧な私になれたときにこそ、愛される資格が得られる」と本気で信じてきました。 相手に気に入られるために自分を抑え、期待に応え、必死に「いい人」を演じる日々。
けれど、本当の自分を否定しながら、偽りの姿で走り続けるのには、やはり限界がありました。
「本当の私では、どうせ愛されない」
そう思いながら無理に回し続けていた足が、ついに止まったのです。
心も体も動かなくなり、積み上げてきたものが崩れ去ったとき、ようやく気づきました。
どれだけ「いい人」を演じても、それは本当の私ではないから、誰からの愛も受け取ることができなかったのだと。
もう、限界。打つ手なし。
でも、本当のことを言えば、やり方を変えるのが怖くてたまりませんでした。 自分を否定しながら必死に走ってきたこれまでの年月を、自ら「なかったこと」にしてしまうような気がしたからです。
そんな私に、本当の限界を知らせる出来事が起きました。 薬の過剰摂取による幻聴や幻覚。そして、失禁。
「このまま、息子たちに下の世話までさせるつもりなの?」
頭をガツンと殴られたような衝撃と共に、心の底から声が響きました。
もう、自分を痛めつけながら走るやり方は、やり切った。
私に残された道は、これまで一度も選んでこなかった「自分を大切にする」ということ、ただ一つでした。
そこから、泥を這うようにして自分と向き合うプロセスが始まりました。 自分を受け入れ、信頼できる人と出会い、学び、つながること。 そして何より、私自身が「自分の応援団長」になることを、今日まで選び続けてきました。
言葉にすれば簡単ですが、自分責めが得意だった私にとっては、それはものすごく大変な方向転換でした。
だからこそ、今、足が止まってしまったあなたの痛みに、私は心から寄り添いたいと思っています。
そんな絶望の果てに私に残された道は、自分自身と向き合うことだけでした。
そのプロセスの中で、信頼できる人と出会い、支えられ、学び、つながってきました。そして何より、私自身が「自分の応援団長」になることを、選び続けてきたからです。
言葉にすると簡単そうですが、決して簡単なことではありませんでした。
私がこれまで、どんな道を歩んできたのか。少しだけ紹介させてくださいね。
*幼少期:父とのお別れ、世界がこわれたあの日
私の孤独は、記憶が始まるよりもずっと前から、すでに始まっていました。
後になって母から聞いた話ですが、私は生後数ヶ月で疾患が見つかり、半年の入院をしていたそうです。
そして、生後半年を過ぎた頃、父は仕事がうまくいかず帰ってくる日が少なかったそうで、母は生計を支えるため毎晩休まずスナックで働いたそうです。
生後半年の私は、一人でお留守番をしていました。母は隣室の方に「もしあまりに赤ちゃんが泣いていたらお願いします」と言い残して、仕事へ向かう。それが、私の人生のスタート地点でした。
5歳で妹が生まれたのですが、その頃の記憶は、生後数ヶ月の妹と二人でお留守番をしたこと。
父は仕事がうまく行かずあまり帰宅しなかったそうで、母は生計を支えるため、夜の仕事がやめられずにいました。
夜中に妹が泣き出すと、どうしていいか分からず心細くて。
「隣のおばちゃんが、気づいて来てくれないかな」
そんな淡い期待を抱きながら、玄関に向かって泣くことしかできませんでした。けれど、どんなに泣いても、扉が開くことはありません。当時の私や妹にとって、世界は「安全がない場所」でした。
そして5歳の時、私の世界が決定的に崩壊する出来事が訪れます。父とのお別れです。
「ごめんな、いいお父さんになったら戻ってくる」
そう言って家を出ていく父の背中を、私は声を殺して見送りました。 あの日、私の世界がこわれた、そんな感覚を子どもながら感じました。とにかく、怖かったんです。
それから毎日「お父さん、帰ってきて」と願い続けていましたが、その願いが叶わないと悟ったとき、私は期待することをやめました。悲しみに耐えきれず、父という存在を「最初からいなかったもの」として、心の奥底に封印してしまったのです。
けれど、封印したはずの記憶は、形を変えて私を追い詰めました。
30代になるまで、私は何度も恐ろしい夢を見ました。自分の部屋の引き出しから、変わり果てた姿の父が現れるのです。
「もしかしたら、私が父を殺してしまったのではないか?」……そんな、理屈では説明できないほどの恐怖と罪悪感に、長い間うなされ続けてきました。
その後、私が第一子を妊娠中に、父が孤独死していたことを知るのですが、その知らせを聞いたとき、私は「お父さんを、2回も殺してしまった」という、やり場のない自責の念に駆られました。
1度目は、あの日、あまりの寂しさに耐えかねて、私の心からお父さんを消してしまったとき。 2度目は、孤独な死を迎えさせてしまった。
この体験を経て、私の心には一つの強固な信念が刻まれました。
「のんきに生きていたら、大切なものを守れない。私が完璧でなければ、また誰かがいなくなってしまう」
「完璧な私」になれば、大切な人を守れる。
誰かの役に立ち、必要とされる人間になれば、もう二度と置いていかれることはない。
いつの頃からか、周りの期待、求めていることに敏感になりました。それに応え続け、「いい人」でいようと必死で走り続ける。
そんな生き方が始まったのは、この頃からだと思います。
*小中学生時代:養父の顔色を読み、1日が無事に終わるのを願う日々。
小学生時代の日常は、常に張り詰めた糸の上を歩くような毎日でした。
家の中には、暴力的な養父がいました。何が父の逆鱗に触れるのか全く予想がつかず、一度怒り出せば、その振る舞いは手がつけられないほど乱暴でした。
父はひどい暴力を振るうくせに、人から怖がられることを嫌いました。妹は父を怖がってリビングから退散してしまいますが、その様子を見ると、父は「怖がられている」と感じてさらに機嫌を損ねるのです。
そんな連鎖を止めるために、私は一人、リビングに残って「くつろいでいるフリ」をする必要がありました。
本当は怖くてたまらなかった。でも、私は父に懐いているフリをして、必死に明るい話題を振る。
私がここで機嫌を取らなければ、この場が壊れてしまう。 当時の私の唯一の願いは、ただ「今日という一日が、無事に終わること」。
それだけでした。
心の中はいつも恐怖と緊張でいっぱい。そして、そんな状況から私を守ってくれない母に対して、やり場のない悲しみが募っていきました。心と体は、とうに悲鳴を上げていました。
夜になると止まらない過食、自分の髪を抜き、皮膚をむしる……。
誰にも見せられない心の傷が、自分を傷つける行為となって体に現れ始めていたのです。
小学校3年生の時、母が突然吐血し、緊急入院しました。
養父は「子供の面倒は見られない」と言い残して家を出ていき、私は保育園に通う妹と二人だけで過ごすことになりました。
朝食を作り、妹に食べさせ、保育園へ送り届けてから学校へ向かう。その道すがら、堪えていた涙が溢れて止まらなくなる日が何度もありました。でも、父のいない静かな生活に、どこかホッとしている自分もいたのを覚えています。
また、妹は重度の喘息を患っており、奇しくも私の誕生日の10月は、毎年彼女の発作がひどくなる時期と重なっていました。
夜間救急へ駆け込むことが多く、私の誕生日は小2から3年連続で忘れ去られました。
大変な母を責めることもできず、私は「誕生日を祝ってほしい」ということさえ、自分の中に封じ込めてしまいました。
とても言える状況ではなかったし、もし忘れられてたらどうしよう‥怖くて聞けませんでした。
中学くらいになると、暴れる父を止められない、私が殴られてても何もできない母を見て、「なんで、こんな乱暴な人を家に入れたの?」 と感じるようになりました。
父への恐怖や嫌悪感よりも、母への失望の方が、ずっと深く心に突き刺さっていたように思います。
*20代:憧れた「普通の食卓」と、忍び寄る限界
私は何よりも「ホンモノの家族」を求めていたので、強い結婚願望がありました。
ドラマで見るような、家族みんなで笑いながら囲む普通の食卓。冷たい玄関で誰かを待つことも、暴力に怯えることもない、穏やかな団らん。その風景を手に入れることが、私の人生の悲願でした。
待望のわが子が生まれたとき、その愛おしさは想像を絶するものでした。
「絶対に、この子たちだけは私が守り抜く」
「私がやってもらいたかったこと、全部この子たちにやってあげるんだ」
そう誓って始まった育児は、一瞬たりとも気の抜けない「全力投球」の連続でした。 自分が欲しくてたまらなかった「理想の家庭」を壊さないために、私は家事も、育児も、仕事も、すべてを完璧にこなそうと必死でした。
仕事面では、妊娠中に私を救ってくれたアロマテラピーの道へ進み、主に子育て中のママさんを対象にした出張講座をスタートしました。講座でママたちが「ホッとした」と涙を流してくれることもあり、やりがいを感じ始めるのです。
しかし、何事も「全力」で走り続けるということは、常に限界の崖っぷちに立っているということでもありました。 うまく回っている時はいいのです。充実感が疲れを麻痺させてくれました。
けれど、思うように仕事が進まない。お金のやりくりに苦労する。 ひとつ歯車が狂い、影が差すと、私の心は途端にパニックに陥りました。
「もっと頑張らなければ、いつか夫に見捨てられる」
「いい母親になれなければ、子どもがかわいそう」
幼い頃に刻まれた「完璧でなければ、大切なものを失う」というあの恐怖が、再び牙を剥いたのです。
私は「もし離婚して一人になっても、この子たちを守れるように」と、仕事を3つ掛け持ちするようになりました。
「とにかく子どもを守るんだ」 と、寝る間も惜しんで、自分をさらに追い立て続けました。
でも、本当の自分を置き去りにしたまま、空っぽの器で愛を注ぎ続けることには、もう限界がきていました。
*30代:うつと離婚、そして再出発
30代の私は、まるで終わりのない荒波に揉まれているようでした。
離婚を経てひとり親になった私は、昼は病院の予約センターとアロマサロン、夜はキャバクラと、3つの仕事を掛け持ちして働き続けました。
子どもたちの進路や希望だけは、何としても叶えたい。
その一心で自分を追い立てていたある日、現在の夫と出会います。
彼は、私の無茶な頑張りを気遣ってくれたり応援してくれました。 しかし、あまりに彼が優しかったからこそ、私は幼い頃から封印してきた「甘えたい」という依存心を抑え込めなくなってしまいました。
甘えるのが怖い、でも失うのはもっと怖い。
そんな葛藤から、彼を突き放すようなメンヘラ行為を繰り返し、心身ともに限界を迎えた私は、薬の過剰摂取による失禁まで経験します。
「息子たちに下の世話までさせるつもり?」
その衝撃を機に、私は「自分を大切にする」という最後の一手に懸ける決意をしました。
※どんなことをしたのか紹介しますね。
その後、彼と息子たちを連れての「お試し同棲」が始まります。
「今度こそ、幸せな家族を作るんだ!」と意気込んだものの、開始わずか2ヶ月で家族全員が息切れし、破綻寸前になりました。原因は、みんなで必死に「理想の父親」「良い子」「完璧な母親」という配役を演じようとする、家族ごっこをしていたことでした。
「このままでは、みんなが潰れてしまう」
そう感じた私は、全員に「役割」を降りてもらうことにしました。
夫には「お父さんにならなくていいよ」と伝え、息子たちには「彼をお父さんと思わなくていいよ」と。
「家族なら、こうあるべき」という型を壊したところから、私たちの本当の家族への道が始まりました。同棲から2年を経て、私たちは正式に再婚。子どものころから切望していた「普通の食卓」は、完璧主義を捨てたことで、ようやく手に入ったのです。
*40代:幸せという「恐怖」との戦い、そして家庭内別居
念願だった「普通の家族」を手に入れ、神様のように優しい夫に支えられ、穏やかな日々が始まったはずでした。けれど、40代を迎えた私の心には、想像もしなかった「嵐」が吹き荒れました。
あんなに望んでいたはずの安心安全な居場所を、自ら木っ端微塵にぶち壊したい。そんな、わけのわからない衝動に突き動かされるようになったのです。
根底にあったのは、ぬぐってもぬぐってもぬぐいきれない「こんな私」という感覚でした。
「こんなに素晴らしい人の人生を、私が狂わせているのではないか」
「私のような欠陥品が、こんなに愛されていいはずがない」
頭では感謝しているのに、心がその「過分な幸せ」を拒絶して、夫と向き合うことができなくなりました。
申し訳なさと罪悪感に押しつぶされ、ついには、あれほど切望して手に入れた家庭の中で、家庭内別居状態にまで陥ってしまったのです。
傍から見れば「何を贅沢な」「わがままだ」と映るかもしれません。
けれど、当時の私にとっては、愛されること、大切にされることが、何よりも恐ろしかった。
「いつ見捨てられるのだろう」
そのカウントダウンの恐怖に耐えきれず、いっそ自分から壊して楽になりたい――。
30代で誓ったはずの「自分を大切にする」という言葉。
でも、私はまだ、その本当の意味を分かっていませんでした。 本当の意味で「自分の応援団長」になるためには、この「自分への底なしの罪悪感」という、人生最大の山場を越える必要があったのです。
*鏡の中の自分に出会う:入院生活での一筋の光
うつで入院生活を送ることになったある日のことです。 一人で椅子に座っていた私に、ある女性患者さんが震えるような声で声をかけてくれました。
「……あの、話しかけてもいいですか?」
その言葉には、「こんな迷惑な私が話しかけて、不快な思いをさせたらごめんなさい」という、痛いほどの遠慮と、自分を卑下する気持ちが滲んでいました。
それまで自分の心を閉ざしていた私は、その一言に雷に打たれたような衝撃を受けました。
なぜなら、その震えるような声は、まさに私の心の声そのものだったからです。
「この人は、私だ」
彼女の中に、自分を鏡のように見た瞬間でした。
「自分には価値がない」
「私は迷惑な存在だ」
と思い込み、世界に対して申し訳なさそうに生きている彼女の姿。 客観的に彼女を見たとき、私は心からこう思いました。
「あなたは、ちっとも迷惑なんかじゃない。きっと優しくて、一生懸命に頑張ってきた人なんだろうな」と。
彼女の中にそんなものを感じたとき、
「私が彼女に感じたこの優しさが、実は私の中にもあったのではないか」
自分が自分であることに申し訳なさを感じて生きてきた日々。そこから一歩踏み出し、土の中に埋もれていた自分の価値を、一つずつ丁寧に掘り起こしていく一歩が、ここから始まったのかもしれません。
*自分の「応援団長」になるまでの道のり
誰にも頼れない、どうせわかってくれない、ってひとりで乗り越えようと生きてきた私も、できることはやったんです。
でも、「もう、打つ手なし!」と白旗をあげて、カウンセリングの扉を叩きました。
「たくさんの悲しみがあったんだね」
初めてその言葉をかけられたとき、堰を切ったように涙が溢れ出しました。
感情を殺し、誰かの役に立つことでしか居場所を確保できず、必死に「完璧」を演じてきた日々。
その奥底に埋もれていた何十年分もの悲しみを、カウンセラーさんは丸ごと受け止めてくれたのです。
「ありのままの自分で生きていい」 その許可を自分に出すために、私はそれから、自分の心と徹底的に対話する練習を始めました。
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「自分責め」の声を止める練習: 何かミスをしたとき、いつものように自分を叩くのではなく、「こんなふうに自分を責めるのも、誰かのせいにしたくなかったり、完璧になることで状況を変えたかったんだよね」「大丈夫だよ、精一杯やったね」と声をかけ直す。
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「自分の気持ちや考え」を言う練習: 相手の顔色や機嫌を優先するのではなく、自分の感情や本音を優先してみる。
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過去の自分と仲直りする: 暗い玄関で震えていた5歳の自分、ハサミで髪を切った30代の自分。私が私を嫌って隠したり、責めたりしてきた。ごめんね!これからは私が味方だよ」と何度も何度も伝えていく。
そうやって一段ずつ階段を登るようにして、私はようやく、自分自身の「親友」であり、「応援団長」になることができたのです。(残念ながら、今でも自分責めはありますが、親友や応援団長に戻るのが少しずつ早くなってきています。)
*今度は、あなたの番です
今の私は、不器用で、怖がりで、時々どうしようもない「メンヘラ」を発動させてしまう自分と、しっかりと手を繋いで生きています。
かつての私は、自分のことが大嫌いでした。
「自分には価値がない」「こんな私はいなくなればいい」 そう自分を叩き続け、誰かに必要とされるために「完璧」という鎧を纏って、ボロボロになるまで走り続けてきました。
でも、今の私は知っています。 幸せとは、完璧になることではなく、ダメな自分を「それでいいよ」と笑って許せるようになった先に、向こうからやってくるものだということを。
もし今、あなたがかつての私のように、 「自分には価値がない」 「頑張っているのに、報われない」 「もう、どうすればいいか分からない」 そんな暗闇の中にいるのなら、これだけは伝えさせてください。
人生は、いつからでも、どこからでも、必ず立て直せます。
あなたがあなた自身の「一番の味方」になり、自分の人生を誇らしく歩き出せる日まで。
私はあなたの隣で、あなたが自分を愛せるようになるまで、何度でも、何度でも、あなたの価値を伝え続けます。
自分を責めながら、ひとりで抱えるのは、もう終わりです。
これからは、私と一緒に「あなたの人生の応援団長」になってみませんか?
気軽にご相談くださいね!ぜひお待ちしております。
*朝陽のつぶやき:セラピスト25年と男性心理の研究30年
これまでの25年以上、私はセラピストとして、女性たちの心と体に寄り添い続けてきました。
気がつけば、私の手のひらには、一人ひとりの人生と真剣に向き合ってきた膨大な時間の記憶が刻まれています。
この揺るぎない経験が、今の私の土台になっています。
その一方で、プライベートの私は「男だらけ」の環境で、リアルな男性心理を30年研究してきました(笑)。
夫と成人した二人の息子、さらには愛犬まで全員オス! 男たちの本音、弱さ、そして愛おしさ……。
そんな「男のトリセツ」を、30年間ひたすら生活の中で叩き込まれてきました。
ですので、女性特有の繊細なお悩みはもちろん、男性の方からの「実は誰にも言えない」というご相談も、どうぞ安心してお聞かせくださいね。
【私の成分表】
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属性: 寅年・蠍座・A型・八白土星(強そうな星回りですが、中身はとっても怖がりです!)
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ひそかな夢: 手相や四柱推命を学んでいたこともあり、いつか女性も気軽に通える「占いスナックのママ」になるのが夢でした♪
「ママー!彼氏できた!」そんな報告を応援したり、「生年月日は?」とか聞いて相性を見たり相談してほしい!そんなホッとできる時間をお届けしたいと思っていました。
・自分自身(自己肯定感や感情の向き合い方)
・パートナーシップ(恋愛、結婚、離婚、再婚)
・自己実現(仕事、収入など)
・親子関係(両親、子どもとの関係)
「問題や悩みがある時は、自分を見失っているサインかもしれません」
私たちは問題や悩みを抱えた時“良かれと思って”自分を抑えてしまうことがあります。
良かれと思って自分を抑えると、今度は自分を感じられなくなっていきます。
すると、自分を感じられないことで、新たに問題が起きることがあります。
しかし、問題が起こる原因を辿っていくとそこには“感じたくない感情”が見つかったりします。
そんな苦しくなってしまった心を紐解いていくと、抑えた欲求や本当の望みが見つかります。
私のカウンセリングでは、心の荷を下ろし、安心を共有しながら、見失ってしまった本来の自分を見つけるサポートをします。
ありのままの自分を一緒に見つけ、受け入れることは、我慢をし続けた自分と仲直りすることにつながります。
「ありのままの自分で良かったんだ!」
と感じることができたとき、問題解決だけでなく、抑えてきた才能や魅力の蓋が開き、本来のあなたを生きることができるように
なります。それはまるで、新しく生まれ変わったような感覚と言ってもいいでしょう。
私はクライアントさんの言葉の奥にある感覚や感情を一緒に見つけ、この再誕生に立ち合う瞬間が大好きです。
得意ジャンル
略歴

1974年生まれ
22歳で結婚、第一子妊娠も流産。翌年長男を出産し、二年後次男を出産。
26歳でアロマテラピーインストラクターになり出張講座をスタートさせる。
その後、セラピストとしてサロン経営を22年経験する。
32歳でうつを発症。入退院を繰り返す。
33歳で離婚。
36歳で再婚。
2020年6月、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルカウンセラー養成コースを受講、平準司氏に師事。
2022年2月、ボランティアカウンセラーとして活動を開始。
2023年6月1日より、カウンセリングサービス所属、プロカウンセラーとして活動を開始。
