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​朝陽みきのプロフィール
​カウンセリングサービス所属 心理カウンセラーの朝陽みきです。

こんにちは!心理カウンセラーの朝陽みき(あさひみき)です。

こうしてカウンセラーとしての自己紹介できる日が来たこと、実は私自身が一番驚いているんです。

 

なぜなら、かつてうつ病を患い、

 

「私なんていなくなってしまえばいいのに」

 

と思いながら、精神科のベッドの中からぼんやりと天井を見上げていた時期があったからです。

​でも、そんな過去の私を通り抜けて、今ここに立っているのは、たくさんの信頼できる人に出会い、自分と向き合い、受け入れ、

私が「自分自身の応援団長」になったから。そして今度は、あなたの応援団長になりたい思っています。

*幼少期:自分で自分を守る術を学んだ日々

私の人生の最初のハードモードは、生まれてすぐにスタートしました。

生後数ヶ月で疾患が見つかり、入院生活を送りました。その間、母は生活費を稼ぐために昼夜働き詰めで、私は生後半年から夜一人でお留守番するようになりました。なんだか嘘みたいな話ですが、お隣の部屋の人に「赤ちゃんがあんまり泣いていたらお願いします」と。

これが現実だったんです。

また母と一緒に寝た記憶はほとんどなく、唯一覚えているのは、私がうつ病に苦しんでいた30代のとき、一度だけ一緒に寝たことです。あの時の温かさは、今でも私の心に残っています。

子どもの頃から自信がない性格で、保育園で名前を呼ばれても「はい」と答えられないような子でした。誕生日会では、前に出るのが

怖くてずっと体育座り。心の中では、「こんな私のことなんか忘れてくれ!」なんて思いながら、聞こえないふりをしていたんです。

両親の離婚も、大きなターニングポイントでした。

5歳の時、実父が「ごめんな、いいお父さんになったら戻ってくる」と言って家を出ていきました。

その時、私は声を殺してテーブルに顔を伏せ、ただ耐えていました。父の約束を信じて待っていたこともありましたが、6歳のときに

一度会いに来てくれたのですが、結局、それが生きている父の最後の姿でした。

父は、私が第一子を妊娠中に孤独死。再会することはかないませんでした。

子どもの頃から「自分でなんとかするしかない」と学び、自分の不安や孤独を抱え込むクセがついてしまいました。

でも、そのおかげで、人に頼らず一人でなんとかする強さも身につけました。

結果として、この強さが後々の私の人生の基盤になっていたのかもしれません。

 

*10代の葛藤:家庭のバランスを取るために

10代はまるでサバイバルでした。

日々、暴力的な養父に怯えて過ごしていました。

何が父の地雷になるのか、全く予想できず、その振る舞いはまるでゴリラのように乱暴でした。

父の機嫌を損ねないよう、リビングでくつろいでいるふりをしながら、できるだけ明るい話題を振ったり、笑わせようと必死に努めました。

まるで家庭のバランスを私一人が保っているように感じていましたが、心の中では恐怖と緊張、それから守ってくれない母に対して、悲しみが募っていきました。

その頃から、私の心と体に異変が現れ始めました。夜になると過食に走り、髪を抜いたり、皮膚をむしるという、自分を傷つける行動に出るようになりました。外には決して見せられない心の傷が、体に現れていったのです。

小学校3年生の頃、母が突然吐血して緊急入院したことがあります。

母は十二指腸潰瘍を患っていたのですが、その時の私は病名すら知らされませんでした。それでも、子どもながらに事の深刻さを感じ取っていました。

その時、養父は「子供の面倒はみれない」と言い残して家を出て行き、私は保育園に通っていた妹と2週間ほど二人で暮らすことになりました。幼いながらに妹を守らなければならないというプレッシャーと、自分の不安が重くのしかかってきました。

朝食を作り、妹に食べさせて、保育園に送ってから小学校に向かう道で涙が止まりませんでした。

でも、ゴリラのいない生活は、心細さもありながらもどこかホッとしていた自分もいたのを覚えています。

また、妹は重度の喘息持ちだったため、私の誕生日は毎年、妹が体調を崩す時期と重なっていました。

特に夕方から発作がひどくなり、夜間救急に駆け込むことが多かったため、小学校時代は3年連続で私の誕生日は忘れられました。

でも、母がどれだけ大変かを知っていたので、誕生日が祝われないことを責めることもできませんでした。

養父が暴れている時、母も止めることができない状況で、むしろ火に油を注ぐような状態だったこともあったのでしょう。

でも、私はその度に「なんでこんな乱暴な人を家に入れたの?」と、母を守ってくれない存在のように感じ、胸が締め付けられる思いをしていました。

*20代:新たな人生への挑戦

 

20代になり、私は結婚を経て、流産や婦人科の病気を経験しました。

それでもやがて無事に出産し、育児に追われるような日々が始まりました。

仕事面では、事務職を続けていましたが、心の奥底で、

 

「もっと人と接する仕事がしたい」

 

と思うようになっていました。そんな時、妊娠中に私を救ってくれたアロマテラピーと出会い、これが人生の転機となりました。

 

すぐにアロマテラピーのインストラクター資格を取得し、自分の学びを生かす道へと進んでいったのです。

アロマの講師として、育児や家事に追われるママたち向けに講座を開くと、ある生徒さんが涙を流しながら、

 

「ホッとした」と言ってくれたことがありました。

 

その瞬間、私は彼女たちの心に寄り添う大切さを強く感じ、もっと直接的に人々の心と体に触れる仕事がしたいと決意しました。

 

そこで、さらにセラピストの資格を取得し、ついに自分のサロンを開業することになりました。

しかし、育児、家事、仕事、そしてお金のやりくり――どれもがうまく回っているようには思えず、すべてが中途半端に感じられる

日々でした。できていないと思えば思うほど、

 

「もっと頑張らなければ」

「もっといい奥さんにならなければ」

「もっといいお母さんにならなければ」

 

と焦りが募るばかりでした。

「こんな私は、いつか夫にも捨てられるかもしれない」

 

と思い込むようになり、不安は次第に現実味を帯びてきました。そんな私は、離婚に備えようと考え始め、仕事を3つ掛け持ちする

ようになりました。必死になって、自分と子ども達を守る術を探し続けていたのです。

*30代:うつ病との闘いと離婚

30代に入ると、私の人生はさらなる激動期を迎えました。

 

うつ病を患い、ついには離婚。入退院を繰り返します。

 

頑張ろうとすればするほど、自分が足りない、何もできていない、

そんな感情ばかりが膨れ上がり、夫の些細なため息や優しさすらも攻撃と感じてしまいました。

 

心の中では「そのくらいで、やった気にならないで」と腹を立てていた自分がいましたが、それを誰にも話すことができませんでした。

 

「どうせ誰もわかってくれない」

 

と思い込み、アドバイスをもらうことすらも苦痛になることがわかっていたので、全てを抱え込むしかないと思っていたのです。

その結果、ついには「もう消えてしまいたい」という衝動に駆られ、救急搬送をお願いするような日々が続きました。

 

女性としての自分、母としての自分、どれも価値がないように感じて、ついには自分でハサミを持ち、髪を根本から切り落としました。

 

それでも外では、

 

「エグザイルのATSUSHIさんが好きでノリで切っちゃった!」

 

と笑って話していました。

 

外で見せる自分と心の中の自分とのギャップが限界に達し、体が鉛のように重くなり、まるで足に根っこが

生えたかのように動けなくなりました。それが原因で、精神科へ入退院を繰り返すようになったのです。

自分の心と向き合う

 

そんな入院生活の中、ある一人の女性患者との出会いが私に大きな影響を与えました。

彼女は私が一人で座っていたとき、

 

「話しかけてもいいですか?」

 

と声をかけてくれたのです。その時、私は驚きました。

なぜなら、こんなふうに話しかけられることがこれまで一度もなかったからです。

 

彼女は、私にとって「自分の価値がない」と思い込んでいた私自身を映し出す鏡のような存在でした。

 

「この人は私だ」と強く感じたのです。

彼女が声をかけるのにどれだけの勇気を振り絞ったかを考えると、私は心の中で、

 

「あなたはものすごく優しい人」

 

と伝えたい気持ちでいっぱいになりました。

 

私が気づけなかったその勇気や優しさが、実は私自身にもあったのではないか、とその瞬間に一筋の光が差し込んだように感じました。

 

これが、私が自分の価値を少しずつ見直すきっかけとなったのです。

*カウンセリングとの出会い

 

自分の中で精一杯、人生を好転させようと努力してきたつもりでしたが、人が離れ、努力してる割になぜか空回りばかり、

 

「もう!打つ手なし!」

 

どうすることも無くなったとき、私は、やっとカウンセリングに助けを求めることができました。

「たくさんの悲しみがあったんだね」

初めてのカウンセリングでこの言葉を言われた時、自分の中に溜まっていたたくさんの悲しみに気づき、涙が止まらなくなりました。

感情を押し殺し続けたこと、両親に分かってもらえなかったこと、それでも頑張り続けてきたこと。

そんな心の奥底に閉じ込めてきた私の感情を、カウンセラーさんは丸ごと受けとめてくれたのです。

存在を肯定してもらえた事で「ありのままで生きてもいい」と、私は私の人生を生きられるようになりました。

*あなたに伝えたいこと

 

今の私は、過去の自分と仲直りし、友達のように自分自身を受け入れることができています。

だからこそ、あなたにも伝えたいのです。

「今度はあなたの番です」

人生はいつでも、どこからでも立て直せると私は信じています。

あなたが、ありのままの自分と出会い、あなたの人生を生きるお手伝いができたら嬉しいです。

私は、22年間、ひたすら女性を専門にサロンをやってきましたが、家族は、夫と成人した息子2人で「男ばかり」の中で生活してきましたので、(ちなみに、我が家のヨークシャーテリアとトイプードルも♂です)

女性でも男性でも、どうぞ遠慮なくお気軽にご相談ください。お待ちしております。

 

​(おまけ・・・ 寅年、蠍座、A型、八白土星です笑)手相、四柱推命を勉強していたこともあり「占いスナックのママ」になる夢を持っていたこともあります笑

 

 

 

 

 

 

・自分自身(自己肯定感や感情の向き合い方)

・パートナーシップ(恋愛、結婚、離婚、再婚)

・自己実現(仕事、収入など)

​・親子関係(両親、子どもとの関係)

「問題や悩みがある時は、自分を見失っているサインかもしれません」


私たちは問題や悩みを抱えた時“良かれと思って”自分を抑えてしまうことがあります。
良かれと思って自分を抑えると、今度は自分を感じられなくなっていきます。
すると、自分を感じられないことで、新たに問題が起きることがあります。



しかし、問題が起こる原因を辿っていくとそこには“感じたくない感情”が見つかったりします。


そんな苦しくなってしまった心を紐解いていくと、抑えた欲求や本当の望みが見つかります。

 


私のカウンセリングでは、心の荷を下ろし、安心を共有しながら、見失ってしまった本来の自分を見つけるサポートをします。
ありのままの自分を一緒に見つけ、受け入れることは、我慢をし続けた自分と仲直りすることにつながります。


「ありのままの自分で良かったんだ!」

 

と感じることができたとき、問題解決だけでなく、抑えてきた才能や魅力の蓋が開き、本来のあなたを生きることができるように

なります。それはまるで、新しく生まれ変わったような感覚と言ってもいいでしょう。
 
私はクライアントさんの言葉の奥にある感覚や感情を一緒に見つけ、この再誕生に立ち合う瞬間が大好きです。

​得意ジャンル
​略歴
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1974年生まれ

22歳で結婚、第一子妊娠も流産。翌年長男を出産し、二年後次男を出産。

26歳でアロマテラピーインストラクターになり出張講座をスタートさせる。

  その後、セラピストとしてサロン経営を22年経験する。

32歳でうつを発症。入退院を繰り返す。

33歳で離婚。

36歳で再婚。

2020年6月、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルカウンセラー養成コースを受講、平準司氏に師事。

2022年2月、ボランティアカウンセラーとして活動を開始。

​2023年6月1日より、カウンセリングサービス所属、プロカウンセラーとして活動を開始。

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